Chairman. HOSODA MESSAGE

弊社代表取締役会長・細田雅春の取材記事や発表した文章などを随時掲載しております。

代表取締役社長

国家ビジョンなくして東日本の将来なし
不易流行をもって描く「グランドデザイン」

今回の大震災の復旧復興について、さまざまな提案やボランティアの活動など、実践的成果についての評価は異なってはいるが、地道な活動は続いている。しかしながら、被災者に対して確固たる将来を示唆するような展望や指針は、未だ示されていない。政府と自治体の連携や意思疎通が十分に図られている様子もない。世界経済との関係の中、日本の経済的衰退ともあいまって、被災地の課題は、とりわけ複雑な状況を克服しなければならない局面にある。それは被災地が単に物理的災害を受けたという事実だけではない。被災地の深刻な人口減少、高齢化、そして雇用産業の崩壊と撤退である。さらなる深い傷を負っているのは、短期的には解決できず、何世代にもわたって抱えざるを得ない深刻な、原発事故による放射能汚染という事実である。またこのような事態に際して、日本のエネルギー政策も一様ではなくなってきた現実が一方の出口を塞ぎ始めている。

こうしたさまざまな課題を解決しつつ、これから構築すべき日本の未来に対する構想、すなわち、東北地方の新たなビジョンに留まらない国家ビジョンづくりが困難であることも現実であるが、国家戦略、国家ビジョンなくして、東日本の再興、復興などできるはずがない。人口減少の渦中にあって、産業構造を始めとするさまざまな戦略的構想こそが必要なのであって、もはや、単発的アイデアや提案では日本の将来を託する柱にはなりえない。

もちろん、各論なくして、最初から国家戦略や国家的ビジョンの立ち上げなどできるはずがないことは言うまでもない。だからこそ、これまでの猶予期間があったのだと理解しているが、被災してすでに7ヶ月が過ぎ、議論の展望をこれ以上長引かせることはできないはずだ。なぜこんなにも時を費やしているのか。憤りを覚える段階を越えているのは、被災者ばかりではない。被災者は当然だが、これは日本国全体の問題なのである。

グローバリズムに引きずられ、国家主体失う20年

グローバリズムという言葉に世界は余りにも引きずられてきた。世界経済、すなわち、極論すれば欧米の金融システム、財政問題に翻弄されてきた。日本もそのような回路を持たなければ生きていけないという思いに駆られてきた反省をいまこそすべきなのである。やっと、どこかに経済的利益が収斂する仕組みが作られてきたことに気付き始めたのである。その意味では、まさに国家が持つべき主体性を見失った20年であったわけで、その延長線上に今回の大震災における没主体性があるということを深く理解すべきである。その視点なくして東北地方を再興することなどできるはずがない。国際社会、そして日本の現在から未来へ向けた構想がいまほど求められているときはない。

国家的グランドデザインは、国家の仕事である。さまざまな個別の提案やアイデアは数多く検討されたほうが良い。そして民間の力を結集するが良い。しかしながら、日本の将来を担うグランドデザインは、国家以外にはできるわけがない。あらゆる問題点を総括し、日本の将来にどのようにして明るい姿を取り戻すのか、その責任と使命は明らかである。国家という存在がいまこそ示されるときである。これは単に政党あるいは官僚や民間という枠組みで捉える問題でもない。それらを包括する国家という存在を賭けたビジョンの存在がなくてはならないのだ。改めて、国家とは何かを問わねばならない。この退路なき日本の、不毛な現在の延長上に、東日本の現在があるということの不幸をむしろ問題にしなければならない。

個別提案を吟味し、哲学持つ国家ビジョンにつなげよう

筆者も微力ながら、個別のアイデアや提案を各所で試みてきた。それ以上に、多くの識者や賢人の意見、さらには政府案としてもさまざまな検討案はあるようだ。個別に見れば、それらのすべては傾聴に値するだろうが、それらが、これからの日本の国家ビジョンに連動しているわけでもない。だからこそ、そのような具体的な提案を吟味し、検討し、さらに国家としての哲学をもって、国家ビジョンにつなげることが問われているのである。その回答が待たれているというのが現在の状況である。

次々に追い討ちがかかるこのきわめて流動的な状況を乗り越え、将来の日本の姿を、そのプロセスを含めて描き出すことが、いま何よりも求められているのである。そのことを、不易流行をもって描く「国家のグランドデザイン」という。  「東日本の将来」は、「日本の未来」を描くことであることを考えなくてはならない。

日刊建設通信新聞
 2011年10月14日掲載