Chairman. HOSODA MESSAGE

弊社代表取締役会長・細田雅春の取材記事や発表した文章などを随時掲載しております。

代表取締役社長

大震災の教訓と餞
地球規模で安全の新価値共有 経済主導回路の方向転換

大震災が契機となるまで、安心・安全の問題についてこれほどに議論が表面化したことはない。いわゆる「想定を超えた」という今回のような災害、事故が、しかも連鎖して起こった経験が過去にはなかったからであろう。とりわけ、安全という概念自体が、余りにも漠然としたものだったこと、また、そうした漠然とした形での概念の定着が当然のこととして受け止められてきたことが分かる。

しかしながら、今回のような世界に伝播するほどの大津波や原発の崩壊による放射能汚染は、過去の安全性の概念を凌駕する問題を提起した。自然災害と都市災害が不可分であることを改めて認識させられることになったのである。さらには、復旧への糸口すらつかめず、復興に向けた道筋も描けない、このような終わりの見えない状況のもたらす閉塞感が蔓延している。世界の生産活動や経済活動に、一つの破綻が波状的、連鎖的に作用してダメージを与えることになった。

経済ダメージの本質が問われている

そのダメージの本質こそわれわれに問われている課題なのではなかろうか。もちろん、ダメージが経済を停滞させるからダメだという議論をここで考えようとしているのではない。経済が安全を誘導している根拠を見ようというのである。  安全性とは、言うまでもなく経済性を抜きにして語れない。人間(社会)にとって完璧な安全とは、無制限なコストを必要とする。だから、いままでの議論での安全とは、それを必要とする社会の欲求とコストが相対化した価値評価軸の上にあって、常に時代の評価、あるいは価値観とも言うべきフィールドの中で、その費用対効果によりおぼろげながらに定められてきた。  例えば、戦争になれば、あらゆる個人の犠牲、すなわち個人の安全性を全否定してでも、国家を勝利に導く価値を優先してきた矛盾に満ちた論理が雄弁に物語っている。もちろん、現代社会の価値観がそのような極端な世界を誘導することはないにしても、同じような論理の矛盾を常に抱え込んでいる。それは経済(コスト)との折り合いである。  安全についてのすべての論理は、折り合いという価値観の中で考えられてきた。それを社会がどのように受け入れるかだが、問題なのは、その社会におけるさまざまな実態の定義(価値観=価値基準)がそのすべてを司っていることだ。例えば、企業が生き残る場合、目標とする利益を確保できているかの評価が前提になっているとすれば、そのとき優先されるのはコストであり、そこで初めて安全性がバランスされることになる。

安全への問いとは異議申し立てだ

いま問われている安全性への関心の高さとは、言うまでもなくコスト、経済への比重のかけ方が「歪んでいる社会の価値観」への異議申し立てなのだとして受け止めるべきではないのか。すなわち、何事も経済主導とする現代社会への異議申し立てとしてである。 さらに踏み込んで、原発などのエネルギー政策を考えれば、その価値の大きさとリスクをどのような枠組みで経済性とバランスさせるかは、もはや日本一国の問題ではなくなっている。グローバルな環境問題に加え、世界のエネルギー政策におけるリスクとメリットの相関的価値論を考える時期に来ているはずだろう。 いつの時代でも、紛争の世界的に共通する原因は、国益優先の論理がいびつ(利益相反)になることから始まるのである。その大半は資源の独占に始まり、生産システムの優位性の確保に至る。その流れはいまなお歴史的に変わっていない。ますます、各国が経済独占と優位性を確保する方向にあるからであり、社会発展も国力も、常に経済的発展を意味しているからである。豊かさの指標が常に経済的優位性に端を発したものに準拠しているのであれば、そうした回路の方向転換は期待できないだろう。

現代の英知を結集

その回路の方向転換に寄与するには、現代の英知を結集するしかない。新しい技術開発と安全性を担保するリスクの分散化も必要になるだろうが、何よりも重要なことは新しい社会観の創出とその共有化ではなかろうか。新しい価値観を共有した新しい社会の出現を待ちたいと思うが、グローバル社会と言われることの本質はそこにあるのではないのか。世界に対し、真にグローバルに問題を共有させてその解決に向けさせられるのかが、今回の大災害を通して日本に問われている課題なのである。  改めて、災害の現代性(現代社会と現代文明)について考え直さなければならない。現代社会の持つ安全性の議論は、ますます複雑化しており、議論を深めるには遠く長い道のりだが、地球という規模で考えていく時代であることを改めて知らされたことを今回の大災害への教訓としなければ、犠牲者への餞(はなむけ)にはならない。

日刊建設通信新聞
 2011年4月21日掲載